辰(タツ)

辰 干支の由来

【龍】
伝説の生き物・龍は瑞祥と言われ、古来中国では、権力者の象徴として、扱われました。
正義感と信用

干支の中では唯一、実在しない想像上の動物。 「風水といえば辰(龍)!」と言っても過言ではないくらい、 風水では、富と繁栄の象徴として重用されています。

…というのも、風水は「気」の流れ=「龍脈」を重視する学問だから。 気の集中する場所は「龍穴」とも呼ばれ、 こうした場所を見つけて気の流れを調整するというのが 風水という学問のベースになっているのです。 ですから、風水と辰(龍)の関係は切っても切り離せないというわけ!

ちなみに、龍の風水グッズを用いる際には、 「五本指の龍は皇帝」
「四本指の龍は神社仏閣」
「三本指の龍は一般庶民」
…と、使う人の身分に合わせて細かく種類が分かれています。

ただ、私たちが市販の干支グッズを飾ったり 身に着けたりする分にはそこまで厳密に気にする必要はないようです。

ちなみに、風水では辰は東南東に位置する動物。 インテリアグッズは、この方角に置きましょう。

辰の動物:龍もしくはタツノオトシゴ

  • 辰の月:旧暦3月
  • 辰の時刻:午前8時を中心とする約2時間
  • 辰の方角:東南東よりやや南寄り
  • 五行:土気
  • 陰陽:陽
  • 意味:草木の形が整った状態を表します。

辰、つまり竜は、12支で唯一の空想の動物です。 そもそも、12支は人々になじみのある動物が選ばれました。 しかし、竜は実在していません。 では、どうして選ばれたのでしょうか? 竜は空想上の生き物ですが、実は人々には身近な生き物だったのです。 古代、中国の記録には竜がしばしば出没しています。 どこそこに竜が出た。 これは縁起が良い兆しだから、今年は豊作になるだろう。 竜が出たことは、皇帝の政治が正しいことの証明だ。 などということが記されているのです。 古代、竜は空想の生き物ではなかったようです。 中国では幾つもの書物に竜の足跡を見ることができます。 中には竜を捕まえて飼っていたというものや、乗り物として利用していた、果てには竜を食べたということまで書かれています。 何でも鶏肉に似たような締まった味で、美味だったとか。 さすがにそこまでくると眉唾な感じはしますが、人々にとって竜が身近だったことは間違いないのでしょう。 その当時、人々は本当に竜を見ていたのかもしれません。 もしかすると今も竜がどこかで飛んでいるのかもしれませんね。

竜は神獣・霊獣とされ、神秘的な生き物とされています。 啼き声は雷や嵐を呼び、竜巻を起こして天空に自在に飛翔すると言われています。 天や水を支配する力を持っているのです。 その巨大な力は恐れられるのではなく、崇められていました。 縁起の良い生き物とされてきたのです。 竜は風水では力の源になっています。 風水の中で気の流れを竜脈と呼ぶぐらいです。 竜の置物を置けば、金運や財運、仕事運、恋愛運や健康運まで、あらゆる運気をアップさせることができます。 天や水などの森羅万象を操る力は、人にも影響を与えるのです。 竜の置物を水と一緒に置けば、その力が運気をアップさせてくれるでしょう。 それだけの力があるのです。 竜の模様は中国の皇帝のみが使うことができたりと、高貴の象徴とされました。 人々にとってはそれだけ身近であり、また特別な生き物だったのでしょう。 昇り竜は出世の象徴とされます。 これは鯉の滝昇りという故事に由来しています。 困難な滝を昇りきると鯉は竜になる、というお話です。 そのことから出世の象徴とされているのです。 また、鯉が昇る滝の難関の関門から、登竜門という言葉ができました。


辰の神様

◯龍神総宮社

龍神について

世界中の寺社仏閣、古代の遺跡や陶磁器、日本画などの芸術品また、身近なところでは中華そばの器など、洋の東西問わず、そのモチーフが多く見受けられる 「龍」とは、いったいどの様な存在なのでしょうか、 想像上の生き物としてあつかわれていますが、私たちに非常に身近な存在であることは、明白なところでしょう。
日本の古い伝説のなかでは、雨乞いをしていたら瑞雲と稲妻とともに龍神様が現れて雨をもたらせていただいた伝説のようなものがあり、わが国では祭神として祭祀している神社も多くあります。 このページでは、龍神総宮社の御祭神である「龍神」についてご説明させていただきます。

日本の神様の中でも、様々な神様の呼称があります。明神様、大神様、弁財天様・・・等、これは神様の位階を表すもので、龍神という呼称も神様の一つの称号であるのです。
また、龍神という表面だっての呼称がなくても、実は龍神様の場合もあります。また、その逆に龍神と呼称がついていても、実は、へび神であったり、龍陀神であったりする場合も多くあります。
龍神とは、神の世界の最高位の称号を現すもので、この大宇宙の中であらゆる問題を解決なされるお力をお持ちである神様のことを龍神とお呼びするのです。

龍神が神様の中でも、最もお力をお持ちの神様であることは前述していますが、その龍神および、すべての神仏を統括し全宇宙を統括している神々様を天上王神様とお呼び申し上げます。
天上王神様とは、この銀河宇宙を治め給う天主天帝様を中心とした、雲上ヶ原(神界の行政機関)に御参集なされる神々様の呼称で、各神界、神族(高天ヶ原系、出雲系、東雲系、長野原系、天龍八部系)の長を主に天上王神様という呼称でお呼び申し上げるのです。
この雲上ヶ原では、大宇宙(自然界)の運行、人間界、霊界の守護体制も、神々様の協議の上で決定運行なされるのです。天上王神様は、とりわけ優れた全知全能のお力をお持ちの神々様で、龍神および全ての神仏を擁護なされておらるのです。

龍神様のお姿は、全宇宙に愛のみ光を与え給う為、万物のすべてのお姿を含めたお姿であられるのです。たとえて言うならば、眩いばかりに光る太い髯を持った雷光のようなお姿であり、目は慈しみ深く、深遠な宇宙の神秘な輝きに満ちたものです。
角 は生命の力を現し、髯は長寿のしるしであり、左右に伸びた口ひげは万物実相の方位を示すものと見ることができます。さらにその巨なる手足は天と地を現して います。また、手に持つ如意宝珠はすべてのものが備わっているという象徴であり、すべてを包みこむ愛の力のしるしなのです。
しかし、龍神様の本当のお姿は、私たち人間とほぼおなじお姿をなされておられます。そのお姿の時は太陽神として崇拝され、天空を駆けるときなどに龍体のお姿の時には、龍神として崇拝されてきたのです。
万物を育み、慈しみの心でこの大宇宙を守護いただき、生命の源となっている存在が、龍神であり太陽神であるのです。即ち龍神と太陽神は表裏一体の同一神なのです。

太陽に向かって手を合わせ、感謝の心を捧げる。 これが「太陽神崇拝」でございます。太陽系の惑星の一つである地球上に生きさせて頂いているからには、太陽が神様でございます。太陽がなくなれば、人間は生きていられません。他の動植物も生きていられません。地球も他の惑星も存在することができません。
地球が命ある星として存在することができているのも太陽のおかげでございます。 すべての人間は、太陽に感謝をしなければなりません。 人類の歴史の中で、様々な信仰の対象が生まれては消えておりますが、それらの信仰の対象がなくなったとしても、太陽がなくなったときのような衝撃は起こりません。
そのように考えれば、太陽の他、神様と呼べるものはないということが、お分かりになることと存じます。 日本の縄文文明、シュメール文明、エジプト文明、マヤ文明など様々な文明は、すべて太陽を崇拝しておりました。「太陽神崇拝」が、古代人の劣った信仰だと考えるのは、現代の科学力が、古代の科学力より優れているからだと考えるからでございます。
実際は、そうではございません。ピラミッド一つを例に取ってみても、古代人の科学力の方が、現代の科学力より優れておりました。縄文日本人たちの暮らしぶりは、自然との調和を取ったものでございました。つまり、科学の進歩していた時代や文明の方が、「太陽神崇拝」を行っていたということでございます。 「本能で、太陽に手を合わせる」ことは、素朴、幼稚、原始的と思われるかもしれません。例えば、日本の神道は、「太陽神崇拝」を継承している教えでございますが、教理・経典を持っておりません。祝詞(のりと)だけでございます。
それは、神様である太陽に対して、感謝の心を捧げるだけでよいから、何も書いたものがないのでございます。他の宗教では、それぞれ難しい教理・経典が書かれております。 けれども、教理・経典が作られれば、それを書く人々、解釈する人々が登場して参ります。そして、教える人と教えられる人に分かれることになりますが、教えられなければ、手を合わせることができないものは、本当の神様ではございません。
そのようにして考えてみると、誰もが、教えられなくても、手を合わせることができるのは太陽だけということになるのでございます。 そして「庚申塚龍王神祖神様」こそが、太陽のお姿で、天・地・人界をお治めになっていらっしゃる「天上王神様」でございます。神々様は、人間をお作りになられますときに、御自身の写し身として、そのお姿をお与え下さいました。もったいないことでございますが、人間の姿は、太陽神とお呼び申し上げますときの神々様のお姿でございます。
さて、「天上王神様」「天上神様」は大宇宙を統括管理なさっておいででございます。広大無辺の宇宙を御移動なさいますときに、お姿を龍体にお変えになられます。 ですから、龍神とは、「天上王神様」「天上神様」の別称でございます。中国、インド、ヨーロッパの絵画に龍の姿が描かれることがございますが、それらは全く異なるものでございます。
龍神のお姿は、全宇宙のすべての生物に御光をお与え下さるという御慈愛の意味から、すべての生物の姿を含んでおられます。そのため、一言で表現することは難しいのでございますが、全体は、眩く(まばゆく)光り輝いておられます。その眼は慈しみ(いつくしみ)と厳しさ(きびしさ)を兼ね備え、深遠で透き通った神秘な輝きに満ちておられ、大きな角は生命力を表し、口ひげは万物実相の方位を示し、手と足は天地を表しておられます。更に、手にお持ちの宝珠(ほうじゅ)は、全知全能のお力を備え(そなえ)ていらっしゃり、すべてを包み込む大きな愛の力の「しるし」を意味しておられます。
古来、人間は、太陽の恵みに対し感謝の祈りを捧げる一方で、自然の猛威に対し、瑞雲、稲妻と共に現れ、雨を降らす神、水の神として、龍神を祀る習慣ができていったのでございます。様々な伝説がございますが、神々様のお力は、語り尽くせるものではございません。そのほんの一部が語り継がれていると申せましょう。
いずれに致しましても、太陽神崇拝と龍神崇拝は表裏一体、同じことでございます。 広大無辺な宇宙を創造し、統括管理され、すべての生命を擁護されている「天上王神様」が太陽神であり、龍神であられます。その御心に沿い奉り、「素直な心」「感謝の心」「慈愛の心」を持って、自然との調和をはかり、安らぎのある心豊かで、微笑み(ほほえみ)に満ちた世界を築き上げていくことが、「太陽神崇拝・龍神崇拝」の目指すものでござます。
龍神総宮社は、太陽神崇拝の元神であり、全ての龍神を総括され給い、天上王神様の存在位相を初めて明らかにすると共に、天上王神様を正しく祭祀奉る崇高なる神社でございます。



◯ 熊本県菊池市龍門(りゅうもん)

菊池市は長い歴史の中で全国の人々が 目を見張るような華々しい時代を築いて来 ました。平安時代の菊池に語り継がれるエ ピソード藤原則隆の「白龍伝説」や温泉湧 出の際に、夢まくらに現れたという「白龍伝 説」など、竜門ダム&班蛇口湖にはその名と おり、龍や蛇に纏わる様々な伝説がありま す。
歴史的な背景に合わせ、龍にまつわる 観光名所も数多くあり、お参りした方が宝く じに当たるなど、大変縁起のよいところ… と、今、注目のおすすめスポットとして大変 話題を呼んでいます。

熊本県菊池市龍門の竜門ダムの堤体の 下には、男龍(おりゅう)と女龍(めりゅう)と いう大きな淵がそこには昔、「男龍」と「女 龍」が住んでいたという言い伝えがあります。その淵のところに龍神様が祀ってあります。「神龍八大龍王神社様は天正3年 (1575)、世界の平和を祈念され此の地に天 下られた。”真心をだせよ。真ありてこそ神 に通ずる”」と記されています。遠くからの参 拝者も多いということです。

神社がある菊池市龍門地域はその名の とおり龍に携わる伝説があります。竜門ダ ムの近くには、むかし「雄龍」と「雌龍」が棲 んでいたといわれる男龍と女龍の二つの淵 があり、その男龍の上岸には伝説の夫婦 杉=ご神木が見事にそびえています。
神龍八大龍王神様に参詣して心を清め、この御神木に手を当てて気持ちを静めると 精気を授かり心身の健康維持増進を図ることができる。 また、縁結びを祈願すると良縁に恵まれ ると言われています。



◯岩清水 竜神の御霊が宿る聖なる湧水地

秋田県

岩清水は脇本地区(寒風山の東麓)からの登り口近くにある十字路から、林の中を麓へ10分ほど歩いて下った先にある湧水地です。

 崖下から静かに湧き出す水が岩盤の上を低いせせらぎの音を立てながら流れていきます。滝の頭と比べると遥かに湧水量は少ないのですが、浅い水底に苔むした岩盤を美しく透かし、人里離れた厳粛な雰囲気を漂わせています。

そのほとりには一軒のお堂と、「封蛇石」(ふうじゃいし)と呼ばれている大岩を背にした小さな石の祠が設けられ、ともに古くから竜神様を祀っています。

  江戸時代、脇本地区に今もある宗泉寺(そうせんじ)というお寺の和尚さんが、岩清水のほとりに一匹の大蛇が棲んでいると聞き、会いに行ったそうです。 「これはただの蛇ではない。やがては竜に化身するだけの魔力を得るだろう。そうなれば、暴風雨を起こしてこのあたりを水没させ、その主になろうとするに違いない。そうなっては地元の人たちが危ない・・。」 そう考えた和尚さんは祈祷の力でそばの大岩に割れ目を入れ、その中に大蛇を封じ込めてしまいました。その岩が封蛇石だと言い伝えられています。 その後、大蛇は和尚さんから手厚く供養され、恩返しに竜神となって今日までこの土地の守り神となっているそうです。



◯田無神社

東京都西東京市田無町

田無神社の創立は正応年間(建長年間説もありますが、いずれも鎌倉期、十三世紀)です。谷戸(註1)の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていました。ご祭神は龍神様です。  時代は下り、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城、町建造のために大量の石灰(壁の材料)を必要としました。家康はそれを青梅の地に求め、青梅街道を開きました。
その際に、肥沃な谷戸に住んでいた人々は、こぞって1kmほど南の青梅街道沿いに移住し、宿場町・田無を造営したのです。
 この様な歴史の中で、人々は宮山に鎮座する尉殿大権現を、まず元和八年(1622年)に上保谷に分祀(註2)し、正保三年(1646年)に宮山から田無(現在の地)に分祀し、寛文十年(1670年)には、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座(註3)しました。
 さらに、尉殿大権現は明治五年(1872年)に熊野神社、八幡神社を合祀し、田無神社と社名を改めました。その際に、主祭神・大国主命と須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、日本武尊命(やまとたけるのみこと)、大鳥大神(おおとりのおおかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)をお祀りして、現在に至っています。

田無神社の主祭神は大国主命です。また、金龍神として顕現されている尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)(級津彦命 しなつひこのみこと・級戸辺命 しなとべのみこと)は、すべての命の源である水と、よろずの災を祓う神を司る豊饒と除災の守護神です。
また田無神社には、須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇がお祀りされております。

五龍神について
方位学では、宇宙は木火土金水(きひつかみ)の五つの要素で構成されていると考えます。これを中国では五行と称し、我が国では五元(いつもと)と称します。この五元は五方位・季節・五色・五臓・五味や干支など様々な物事を表しています。また相生・相克・比和という五行の相性により、力が大きくなったり小さくなったりします。特に干支は、その年々で「気」が変化します。
人は産まれた時に「気」を吸い込む事により、体内に宿ります。取り込んだ「気」は生涯変化せず、相性・相克・比和により吉凶が発生します。九星とは一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星であり、これらの星は毎年一定の法則で循環しています。

田無神社には五行思想に基づいて五龍神がお祀りされています。中心の本殿に金龍神、東方を青龍神、南方を赤龍神、西方を白龍神、北方を黒龍神が御守護されています。
また、境内にある大きな銀杏の木は、それぞれの龍神様の御神木として多くの人々に親しまれています。



◯八大竜王

八大竜王(はちだいりゅうおう)とは、天竜八部衆(仏法を守護する8神。仏教が流布する 以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法神となっ たもので天、竜、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんな ら),摩侯羅迦(まごらか))に所属する竜族の王であり仏法を守護する。
水を司る龍神の頂点にある神。あらゆる土地や気象を管理する龍王堂の鎮座神。 古代インドでは蛇竜(ナーガ)という半身半蛇の形であったが、中国や日本を経て今の竜 の形になったそうです。 仏教では蛇竜(ナーガ)は広目天の眷属とされています。

この八尊の龍のことは法華経に書かれています。 「八竜王有り、難陀(なんだ)竜王・跋難陀(ばつなんだ)竜王・娑伽羅(しゃから)竜王・ 和脩吉(わしゅきつ)竜王・徳叉迦竜王(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだつた)竜王・ 摩那斯竜王(まなし)・優鉢羅(うはつら)竜王等にして、各、若干(にゃっかん)の百千 の春属と倶なり。」 これは,世尊(釈尊)がは王舎城の霊鷲山(りょうじゅうせん)にて法華経を説いた時に 何万の聴衆者の中に八竜王がそれぞれ春属を連れて参加していたことを説明されてい ます。その中には帝釈天や梵天等々たくさん参加しています。

 ・難陀竜王    なんだ   
   ・跋難陀竜王   ばつなんだ
   ・娑羯羅竜王   しゃがら
   ・和修吉竜王   わしゅきつ  
   ・徳叉迦竜王   とくしゃか
   ・阿那婆達多竜王 あなばだった あなわたぶた
   ・摩那斯竜王   まなし     まなすいん
   ・優鉢羅竜王   うはつら    うっぱらか 

【竜王の数】 

経典にもよるが上記八竜王の他にもの何千もの竜がおり,竜王も何百と存在する らしい。

【天敵乾闥婆(金翅鳥王)】

乾闥婆は竜を食する。 しかし、別に諸竜が有って、金翅鳥王でも取ることができない龍が有る。娑伽羅竜王で ある。未だに彼の金翅鳥王の驚かされる所と為らない。難陀竜王と優波難陀竜王が有 り此の 二匹の竜王は亦彼の金翅鳥王の取られる所と為らない。阿那婆達多竜王が有 り。金翅鳥王はこれも亦取ることができない。其の余の竜王で金翅鳥王に奪い取られて 食われない者が有る。それは摩多車迦竜王、徳叉迦竜王、羯勒拏橋多摩伽竜王、熾婆 陀弗知梨迦竜王、商居波陀迦竜王、甘婆羅竜王、阿湿婆多羅竜王等である。また更に 余の竜が有り。其の住処の境界の中に於いて、亦復諸の金翅鳥の 食べられる所と為ら ない。

【難陀竜王(ナンダ・Nanda)】

訳:歓喜
赤色
海洋の主。頭上に9匹の竜、右手に剣、左手は腰。 千手観音の眷属の二十八部衆の一人でもあり,竜王の中で一番優れているとされている。 その昔、難陀と弟(妻?)の跋難陀の兄弟(夫婦)竜王が娑伽羅竜王と戦ったことがあった そうです。竜王どうしの縄張り争いか?? インド神話に登場するナーガラージャの一人でアナンタ(Ananta)「無限・姿はナーガの大王 たるキングコブラ」という竜王が難陀竜王になったのではないでしょうか。

【跋難陀竜王(ウパナンダ・Upananda)】

訳:亜(善)歓喜
難陀の弟。頭上に7匹の竜、右手に剣。左手は空中 難陀竜王と共にマガダ国を保護して飢饉なからしめ、また釈迦如来の降生の時、雨を降ら してこれを灌ぎ、説法の会座に必ず参じ、釈迦仏入滅の後は永く仏法を守護した。 兄より も気性の荒々しい竜王と言われるが、国土を守り、国王を導くと伝わる護法の竜王である。

【娑羯羅竜王(サーガラ・Sagara)】

訳:大海。海竜王
千手観音の眷属の二十八部衆の一人 龍宮の王。雨乞いの本尊である。法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの竜王 の娘である。

【和修吉竜王(ヴァースキ・Vaski)】

訳:多頭、九頭龍。多頭龍。
ヴァースキは有名なナーガラージャであり,インド神話に登場する蛇神ナーガ の王の一人。特に古い時代に崇拝された。
九頭一身の竜王で、須弥山を守り細竜を取って食すという。 和脩吉の梵名の意味は多頭である。なぜならば九頭(くず)の龍であるからである。
邪霊の監視役を務め、気天界を徳叉伽龍王さまと共に巡り、悲法行の龍蛇系の気 天神を鎮圧する。また、飲料水、灌漑用水などの守護神として、一切の衆生のため に安薬を施す。水の中に妙力を注ぎ込み、人体の中の悪気邪気を駆逐する。
また,インド神話では「乳海撹拌」と呼ばれる物語で活躍している。 それによると、神々の支配権がまだ確立していない頃神々とアスラが不死の飲料ア ムリタを手に入れようとした事があった。このとき神々は巨大なマンダラ山を引き抜き それを海中の巨大亀の背に立てその山の上にヴァースキを巻きつけると、其の両端 を神々とアスラが引っ張って大海を掻き混ぜ、アムリタを作ったといわれる。
巨大なヴァースキの上に小さいタクシャカが乗っているので徳叉迦竜王の親分なのか も。

【徳叉迦竜王(タクシャカ・Taksaka)】

訳:多舌現毒。視毒。
赤い体。額に卍字の印
タクシャカも有名なナーガラージャであり,インド神話に登場する蛇神ナーガの王の 一人。
多舌龍王、眼毒龍王とも称され、その眼で睨まれると命を落とすという伝説が ある。
和修吉龍王の仲間であり、須弥山(妙高山)に住まうという。 衆生の五逆を消滅し、三界解脱せしむる力を有すると云われる。
阿修羅神をはじめ、一宗一派に加担して人心を惑わす悪しきものをことごとく喰らい、 天命の完遂を助ける。天譴雷誅を降す役目があり、愚迷の者を叱咤し、龍鳴轟き警 告を発す。

【阿那婆達多竜王(アナヴァタプタ・Anavatapta)】

訳:無熱。無悩清涼。菩薩の化身として尊崇せられた。 個人的に一押しの竜王です。
ヒマラヤは阿耨達池(阿那婆達多池・無熱池・無熱悩池)に住していたためこの名がある。 この池は雪山の北方にあり、常に清冷水を湛えているという
この池に住まうことから阿耨達龍王、無熱龍王、無熱悩龍王とも称す。 別名「無熱」と言い、昔より慈悲心深く、菩薩の化身として尊崇された。四大河を分出し 、九洲(世界)を潤し、徳高く一切の馬形(ばけい)龍の王とされる。
法を運び伝える者を護り、法が全世界に広がることを助ける。修道者にとっては修道無 難の守り神でもある。 中観派の論書で引用される弘道広顕三昧経では説法の聞き手として登場する。 わりあい教理の深い部分と関りの強い龍王なのかもしれない。
この龍王の誓願は、鈍根を利根ならしむ。また狂気を正気に還帰せしめて身体 に起こる障害を除くことだという。
阿耨達池には阿耨観音・阿耨達(多)童子・善如龍王が存在するため同一視される こともあり,何か関係があるともいわれているようです。

釈尊誕生にも関わりがあるようで,「ご誕生の瞬間に、閻浮提の水源である無熱池の 主・阿那婆達多竜王(あなばだった)が八つの功徳のある水(甘・冷・軟・軽・清浄・臭 わない・喉によい・腹をこわさない)を持って「この水を産湯に使いなさい」と諸天に云 われておりました。
その後すぐさま竜神王が青蓮華を一本お持ちになり、その蓮より 清水を出して御子の御身にかけ、残りの水を四天下にそそいだならば、人も畜生も草 木も国土もことごとく金色に光り輝き、草や木には花が咲き菓がなりました」とある。

日蓮大聖人も「国の大蝗虫(ダイミョウバッタ)である諸僧、近臣等が日蓮を讒訴すること がいよいよ盛んになるならば、大難はますます来るであろう。
帝釈天を射ろうとする修羅 は、射た矢がかえって己の眼に刺さり、八王竜王の一つで、大雪山にある無熱池に棲む 阿那婆達多竜を火攻めで害そうとした金翅鳥は、みずから火を出して自身を焼いてしまっ た。
法華経を持つ行者は帝釈天や阿那婆達多竜に劣るであろうか。」・「日蓮大聖人様の お母様の話によれば、日蓮大聖人様がお生まれになる前夜に富士山の頂きに登った夢を 見られたそうです。
その夢では、ご誕生の瞬間に、閻浮提の水源である無熱池の主・阿那 婆達多竜王(あなばだった)が八つの功徳のある水(甘・冷・軟・軽・清浄・臭わない・喉に よい腹をこわさない)を持って「この水を産湯に使いなさい」と諸天に云われておりました」。 その後すぐさま竜神王が青蓮華を一本お持ちになり…」と阿那婆達多竜王を取り上げてい る。
ナーガラージャであり,インド神話に登場する蛇神ナーガの王の一人であるアイラーヴァタ 竜王ではないのかと勝手に思っています。

【摩那斯竜王(マナスヴィン・Manasvin)】

訳:大身、大刀。
阿修羅が海水をもって喜見城を侵したとき、身を踊らせて海水を押し戻したという。 一切の蝦蟇形(がまけい)の龍の長である。神の御力を衆生に観せ、信仰心を芽生えさ せることを大願としている。

【優鉢羅竜王(ウトパラカ・Utpalaka)】

訳:青蓮華、黛色蓮華池。
かつて優鉢羅華の青蓮華が生息した聖池に住んでいたのでこの名が付いた。雨を降らし 一切の樹木叢林草薬苗稼を生長させる主な力となる。全ての土地神は、この龍王の監査 の許に雨風をもたらし豊な実りとする。

【その他の竜王】

倶利伽羅(クリカラ)竜王
鳩利迦竜王とも訳されている。 岩上に直立する宝剣に火炎に包まれた黒龍が巻きついているさまで形象され、この竜王 は不動明王の化身として特に崇拝せられる。仏法を護り,剣と火炎は一切の邪悪、罪障 を滅ぼすといわれている。 倶利伽羅悶々はここから来ているらしい。 

 

【インドの竜王】

仏教の竜王ではないがインド他にもインドには有名なナーガラージャが存在する。 ちなみにインドでの八大竜王といえばアナンタ、パドマ、マハーパドマ、クリカ、 カルコータカ、シャンカパーラ、タクシャカ、ヴァースキ、エーラーパトラが順当のようです。

・シェーシャ

白色。千の鎌首を持つ。 インド神話に登場する蛇神ナーガの王の一人で千の頭を持つ巨大な蛇の姿をしている。 ヒンドゥー教の宇宙観では世界には七層の地下界があるとされるがシェーシャがいるの は更にその下で千の頭で全ての大地を支えていると言われる。
千の頭の一つ一つには卍の印がついているうえイヤリング、王冠、花冠もついている。 カルパと呼ばれる一時代の終わりには炎を吐いて宇宙を焼き尽くすといわれている。 同じナーガのアナンタと同一視される事もあるという。
シェーシャはナーガ(コブラの神格)ではなくマホーラガ(ニシキヘビの神格)と言われて いる。 マホーラ=まごらか=摩侯羅迦王であると思われます。

・ヴリトラ

「宇宙を覆う者」「宇宙を塞ぐ者」という意味の名の竜である。 古代インドのヴェーダ時代から存在する悪竜。 雷神インドラ(帝釈天)の宿敵であり、地上の七つの川を占領し 太陽を暗黒に包んで地上を飢饉に陥れていた。 ヴリトラの力は強力で、どんな神も太刀打ちできない。

・カーリヤ

インド神話に登場する蛇神ナーガの一人。 蛇の姿をしており、全てのナーガの祖先とされる。 もともとヤムナー川に棲んでいたが、其の毒のため川は沸騰し樹木は枯れ、鳥達も死ん だとされる。 是を見たクリシュナ神(天輪聖王)がカーリヤの鎌首を踏みつけ、ラマナカ島に移住させた この戦いの名残としてカーリヤ一族の鎌首にはクリシュナの足跡が残ったが神の足跡の おかげで、其の一族には誰も危害を加える事ができなくなったという。

・カルコータカ

黒色。首に白い筋が三本、白い点がある。 インド神話に登場する蛇神ナーガの王の一人。
全てのナーガの祖先とされるカーリヤの兄弟に当たる有力な王で人間に取り付いた悪魔 を追い払ったり、人間を小人にする力があった 『マハーバーラタ』の中で知られる『ナラ王物語』では悪魔カリに取り付かれていたナラ王 が、毒のあるカルコータカに森の中で噛み付かれたが、その毒は悪魔にだけ作用し王自 身は無事だったとされている。 また、ナラ王はカルコータカの魔法で小人にされてしまったという。

・ムチャリンダ

この竜王は仏教と関係があるインド神話に登場する半身の蛇族であるナーガの王の一人 仏教説話の中で、仏陀に帰依したとされている。
ある時仏陀は有る菩提樹の下で瞑想にふけっていたがその菩提樹にムチャリンダが棲ん でいたとされている。 彼は仏陀の偉大さに気づき、黙って見守り続けた。 やがて大きな嵐が起こると、自分の蛇の体を七回仏陀に巻きつけて七日間にわたって雨 から護り、その後で人間の若者の姿になって仏陀に帰依したのである。



◯八大竜王宮と宝池寺

宝亀年間(715〜16)に、畿内の大干ばつで住民飢餓が苦悩していた時、光仁天皇の子、開成皇子が来山しました。そして池を掘り、八大竜王(歓喜神外七柱)を招請して降雨を得た縁起にて、その後、宮を建てました。それが今の八大竜王です。以降この山を竜王山と呼ぶ様になりました。  隣接の八大竜王宮では、毎年二月の節分に節分会を実施しています。現在、寺に竜骨が保管されています。



◯荏原神社

荏原神社は、品川区北品川にある神社です。荏原神社は、和銅2年(709)9月9日、奈良丹生川上神社より高麗神(龍神)を勧請し、創建されました。長元2年(1029)に神明宮、宝治元年(1247)に牛頭天王を勧請し、古くから品川の龍神さまとして親しまれ、貴船社、貴船大明神、品川大明神と呼ばれ、江戸時代には2石5斗(5石を品川神社と折半)のご朱印を受け、明治時代には准勅祭社の一社に指定されていました。

荏原神社の由緒

荏原神社は、和銅2年(709)9月9日、奈良丹生川上神社より高麗神(龍神)を勧請し、創建されました。長元2年(1029)に神明宮、宝治元年(1247)に牛頭天王を勧請し、古くから品川の龍神さまとして親しまれ、貴船社、貴船大明神、品川大明神と呼ばれ、江戸時代には2石5斗(5石を品川神社と折半)のご朱印を受け、明治時代には准勅祭社の一社に指定されていました。



◯平安京最古の庭園『神泉苑』

『神泉苑』は平安京遷都の794年、桓武天皇が平安京大内裏の南東にあたるこの地に皇族の為の庭園・禁苑として造営したもの。清らかな泉が常に湧き出ていたことから『神泉苑』と命名されました。

『神泉苑』は庭園として造営されたものの、時と共に天皇の宗教儀式の場へと変化していきます。日照りが続いた際、東寺の弘法大師空海により雨乞いの儀式が行われ、その法力により水をつかさどる龍神「善女龍王」が招かれ、雨乞いに成功したとされています。現在も龍神は「善女龍王社」として池の中心に祀られています。

また貞観年間には平安京で疾病が大流行。当時は疫病が流行るのは恨みを残して死んだ人の”御霊の祟り”であるとされており、その御霊を鎮める為に『神泉苑』で行われたのが、池に鉾を立てて厄払いをしたという御霊会。

この御霊会は後々に町衆へと伝わり、鉾に車を付けて飾りを施して練り歩くという「祇園祭」になったのです。「祇園祭」が疾病を治める為に始まったとされているのは『神泉苑』の御霊会のことを指しているのです。

日本で唯一とされる歳徳神を祀っている「恵方社」は、訪れる年によって向きが変わっている不思議な祠。おわかりかと思いますが、その名の由来は”恵方巻”と同じ恵方社。良く見ると台座が回りそうな形になっていますが、毎年大晦日の夜に翌年の吉方位・恵方へ祠の正面が向けられるのだそうです。

その年の福徳を司るという歳徳神に参拝すれば、一年間の幸せなどのご利益があるといわれています。

龍神を祀っていたり、恵方社がある『神泉苑』ですが、実はお寺の扱い。前述のとおり、弘法大師空海が雨乞いをしたという由緒から現在も『神泉苑』は東寺の管理になっていて、現在も真言宗東寺派のお寺なのです。本尊は聖観世音菩薩、不動明王、そして弘法大師。

また、「ゴイサギ」と呼ばれる鳥はこの『神泉苑』で名前が付いたともされています。醍醐天皇が『神泉苑』で羽を休めていた鷺を捕えようとしたところ、飛び立とうとしました。しかし、召使いが「帝の御意なるぞ」と声をかけるとその鷺は地にひれ伏したそう。天皇はそれを大いに喜び、その鷺に「五位」の位を送った。つまり「五位鷺」というのが名の由来なのだそう。

他にも源義経と静御前の出会いの場であったなど、『神泉苑』の伝説は枚挙に暇がありません。

『神泉苑』の面している通りは「御池通り」と言います。祇園祭の山鉾巡行や時代祭が練り歩く「御池通り」の名は『神泉苑』の池から来ているもの。マイナーなスポットではあるものの、平安京最古の庭園である『神泉苑』は京都にとっては根深い存在なのです。

様々な伝説の残る『神泉苑』は二条城の目と鼻の先です。遠く平安時代に思いを馳せながら、龍神様に願い事を託しに訪れてみてはどうでしょうか?



◯水を司る神「おかみのかみ」と龍

迦具土(カグツチ)命の出産がもとで、伊邪那美(イザナミ)命は死んでしまった。
伊邪那岐(イザナギ)命は、愛妻、伊邪那美命を死に追いやったと、怒って迦具土命を斬り殺すが、 この際に生まれたのが、「おかみのかみ」だとされる。 「おかみ」は古事記では「淤加美」と書く。
「おかみのかみ」は、山の尾根筋の「高おかみの神(たかおかみのかみ)」と深谷の「闇おかみの神(くらおかみのかみ)」の二神(両者は同一神ともいわれる)の総称で、降雨・止雨、地中蓄水・湧出など、すべての水の動きや働きを司る水神である。

「おかみ」という漢字は「雨かんむりに、口を三つ横に並べ、その下に龍」と書く。 まさに、この水神のための漢字である!
「おかみ」という字は「龍」を意味する古語でもある。 従って、「おかみのかみ」とは龍(竜)神ということにもなる。 この漢字表記が出来ないため、「おかみ」と平仮名で表示する。

「おかみのかみ」は、万物の生命の根源とも言うべき水に関して、天地の自然循環の仕組みを適切に司る。 龍は、空中、地上、水中に住み、天空天地を行き来して雲を呼び雨を降らせるなど、水を自在に支配する。 両者は共に、水神として古来より信仰され祀られた。
水を司る「おかみのかみ」を祀る神社として、有名なのが「貴船神社」(京都市左京区鞍馬貴船町)と「丹生川上神社」(奈良県吉野郡)である。
両社は、延喜式で最高位の「名神大社」とされて、歴代の朝廷から勅使が派遣され、祈雨に際しては黒馬が、祈晴(止雨)に際しては白馬または赤馬が奉納された。

【大山阿夫利神社の摂社「二重社」(祭神 高おかみの神)】

関東一円で、「雨乞いの社」として有名な「大山阿夫利神社」は、摂社「二重社」に水神として「高おかみの神(たかおかみのかみ)」を祀る。
阿夫利神社の「阿夫利」は「雨降り」に由来するといわれる。 江戸後期から明治にかけて「大山詣」(大山講)が盛んに行われた。
特に雨乞い、止雨、適雨に霊験があるものとされて、農業・漁業・海運・商工(大工・鳶・左官)に携わる人々の信仰を集めた。 摂社「二重社」は、下社の下(茶屋)から10分程の「二重滝」の傍らにあり、 「八大龍王」の幟(のぼり)が林立している。 「八大龍王」は龍族の王である。
参道階段上の左右に神使の龍(竜)像があるが、 このような阿吽の一対は珍しい。青銅製である。

神奈川県伊勢原市大山355 小田急線伊勢原駅、大山ケーブル行きバス終点下車、ケーブル阿夫利神社下社駅、歩20分

【雨降山大山寺(大山不動尊)】

755年(天平勝宝7)に創された「雨降山大山寺(大山不動)」は、別当寺として、明治の神仏分離まで大山阿夫利神社と一体だった。 「大山不動」は、高幡不動、成田不動と共に関東三大不動の一つである。

寺の本殿前に置かれた左右の特大の「天水(雨水)受け」に、神使像ともいえる「龍の阿吽の一対」が浮き彫りされている。「天水と龍」は、この寺の寺号の雨降山にふさわしい。(高さ約1.2m)



◯龍神が結ぶ氷川神社

埼玉県の一ノ宮は、さいたま市大宮区にある「大宮氷川神社」ですが、古来より一ノ宮氷川神社は三社あったといわれ、「中川の中氷川神社(現・中山神社)」と「三室の氷川女体神社」を加えた三社が一ノ宮氷川神社と伝えられています。
更に驚くべきことに、この三社は、龍神伝説で結ばれ、奇跡的に一直線に並んでいる「光の道」と考えられているのです。 今回は、この氷川三社の奇妙な結び付きをご紹介いたします。

はじめに「光の道」についてご説明しておきましょう。 最初にこの「光の道」を発見したのは、イギリスのアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンスで、一直線上に『レイ』という名の付く地名が多いことから「レイライン」と名付けられました。

この『レイ』とは「光」のことで、このレイラインは光が一直線に進む様に例えられ、“聖地を刺し貫く=パワーゾーン”と解釈されたことから、レイラインを探せとばかりにイギリスで大流行し、後に世界中に広まったのです。

日本でも勿論、いくつものレイラインと思える聖地を結ぶ直線が見つかっています。 代表的なものは、千葉県外房の上総一ノ宮にある玉前神社の参道から登った太陽の光が、神奈川県一ノ宮の寒川神社、富士山頂、琵琶湖竹生島の弁財天社、中国地方の名山大山の大神山神社から出雲大社へと一直線に続く、本州を横断する壮大なレイラインです。
そして日本でのレイラインは、春分・秋分、夏至・冬至の太陽の光から「ご来光の道」などと呼ばれており、特に霊験あらたかなパワースポットと考えられているのです。

【龍神伝説の源「大宮氷川神社」】
さいたま市大宮区にある武蔵国(現在は埼玉県)の一ノ宮『大宮氷川神社』は、毎年正月の参拝客が全国10指に入る著名な神社です。
創建は二千有余年前という由緒を持ち、祭神は、須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の三柱で、境内には十数社の摂末社を祀る一ノ宮の名に恥じない大社です。

古の神社の東側には、「御沼」と呼ばれた豊かな恵みを育んでいた神聖な湖沼があり、江戸時代に開発された見沼溜井(溜池)は、こうした伝承から神聖なる龍神が棲むと伝承されました。
現在、境内にある神池は、この見沼の名残といわれ、神聖な神池からの湧水は現在も豊富に注がれているのです。

このように水と密接な関係のある氷川神社は、横浜のシンボルとして山下公園に係留されている日本郵船・氷川丸や、あの戦艦武蔵の祭神として祀られていたのです。
そして埼玉県・東京都の荒川流域(特に旧武蔵国足立郡)に氷川神社が分布するのも、水に深い関係のある一ノ宮総本社ゆえで、その神池は龍神伝説の源とも言えるパワースポットなのです。

【龍神伝説の祭祀「氷川女體神社」】
さいたま市緑区にあるのが『氷川女體(にょたい)神社』です。 社伝では二千年以上前の崇神天皇時代に、出雲神社を勧請して創建されたと伝えられ、主祭神の奇稲田姫命が、大宮氷川神社の主祭神である須佐之男命の妻であることから、大宮氷川神社を「男体社」とし、氷川女體神社を「女体社」としているのです。
この神社で、古くから最も重要な祭祀が、神輿を乗せた船を沼の最も深い所に繰り出し沼の主である龍神を祭る「御船祭」で、八代将軍吉宗のときに見沼が干拓され“見沼田んぼ”となってからは「磐船祭」と呼ばれ、周囲に池をめぐらせた祭場を設けて龍神が祀られるようになりました。
実際に祭祀が行われたのは明治時代初期までの短い期間でしたが、その遺跡が境内に残っており、埼玉県の史跡に指定されているのです。

このように氷川女體神社もまた、水と深い関係を築いてきた神社で、奇稲田姫命の伝承から「蓮を作ってはいけない」「片目の魚が棲む池」として、龍神伝説が祭祀されるパワースポットなのです。

【龍神伝説の継承「中山神社」】
最後は、さいたま市見沼区中川にある『中山神社』です。 こちらも創建は紀元前95年と伝えられ、別名「中氷川神社」と呼ばれているのは、氷川神社と氷川女體神社の中間に位置していることと、祭神が大国主こと大己貴命で、大宮氷川神社の祭神である須佐之男命の息子であることから、氷川神社の「男体社」、氷川女體神社の「女体社」に対して「簸王子社」と呼ばれています。

毎年12月8日に行われた「鎮火祭」は有名で、炊き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災及び火難が無い様祈願する神事です。
その鎮火祭が行われたのが「御火塚」と刻まれた標中のある一角で、この鎮火祭が変化して現代の火渡り神事となったのです。
このようにここ中山神社は、正反対の火と深い関係があるのですが、かつてこの地は氷に覆われていて、この神事の鎮火祭の火によって「中氷川」の氷が溶けて大地となったことから、この地を“中川”と呼ぶようになったとの伝承があり、龍神伝説を受け継ぐパワースポットと呼ばれているのです。

これまで見てきたように、祭神の関係と龍神伝説の結びつきにより、氷川三社は三位一体と言われてきました。そして写真の氷川女體神社の扁額には「武蔵国一宮」と記載されていることから、現在でもそう信じられているのです。

そして更に驚愕するのが、この三社の位置なのです。 地図でそれぞれの位置関係を見ていただくとお判りになると思いますが、三社が、ほぼ一直線に並んでいるのです。 これは、太陽は夏至に西北西の大宮氷川神社に沈み、冬至に東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を把握するための意図的な配置と言われており、まさしくご来光の辿る道なのです。

このことから「祭神」「龍神伝説」がご来光の道で結ばれた奇跡の三社は、間違いなく強力なパワーを秘めた奇跡のパワーゾーンであると考えられているのです。



◯室生龍穴神社(奈良県宇陀市)

耳を澄ませば、滝から続く清流の瀬音と、しみいるようなヒグラシの合唱。気温は街中より2、3度低いだろうか。だが、涼しさは体感的なものだけでなく、りんとした雰囲気による部分も大きいと思える。奈良県宇陀市の室生山にある室生龍穴神社の吉祥龍穴と、前面に落ちる滝「招雨瀑(しょううばく)」の前にたたずむと、思わず背筋が伸びる。
龍穴神社は、「女人高野」として知られる室生寺のほど近くにある。8世紀、皇太子だった桓武天皇が病に伏せた際、平癒祈願のため室生の龍穴で祈祷(きとう)が行われたといい、これが吉祥龍穴ではないかとされる。この祈願のあらたかな利益(りやく)から、勅命で創建されたのが室生寺だという。
龍穴神社の創建年代は定かでないが、こうした経緯から「龍穴神社の歴史は室生寺より古い可能性がある」(宇陀市教育委員会)。

 社の前を流れる室生川は最終的に淀川となって大阪湾に注ぐ。その水源に鎮座する同神社の祭神は雨や雪をつかさどる神として崇敬を集めた。平安時代の歴史書とされる「日本紀略」には9世紀初頭には既に、雨乞い神事が行われたとの記述がみられる。
ただ、ぽっかりと口を空けた吉祥龍穴は「龍神」の住処とされてきた。日本古来の水の神の信仰が大陸文化の影響を受けて変化したとされる。
 伝承によるとこの龍神は、元は興福寺(奈良市)近くの猿沢の池に暮らしたが、天皇のお召しがないのを悲観した采女(うねめ)が身を投げたのを嫌い、春日山中に逃れた。ところがここも亡きがらが多く、静穏な環境を求めて室生の地に移った、という。巨大な岩盤上を滑るように流れる清流を見ていると、龍神の気持ちもわかるような気がする。
 同神社の本殿と拝殿は、奥拝殿から林道を経たところにある。本殿は17世紀に再建された記録があり、春日若宮社の旧社殿を移したと伝わる。拝殿はこれより少し後、時の将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の援助を受け、室生寺の般若堂を移築したとされる。
参道は短いが、拝殿前の杉の巨木は樹齢約600年とも言われ、垂直にそそりつつ様子は圧巻だ。



◯勢田橋龍宮秀郷社

祭  神:大神霊龍王 藤原秀郷公
説  明:大神霊龍王(おおみたまりゅうおう)は、「淡江(おうみ・びわこのこと)」とかけてるのでしょうか??豊玉姫のことである、と説明されています。

       

また、藤原秀郷公とは、別名「俵藤太」。百足退治で有名です。

              

「朱雀天皇の時代のこと。近江の国瀬田の唐橋に龍が横たわって、人々は橋を渡ること ができなかった。が、俵藤太は、恐れることなく、龍の背を踏みつけて橋を渡ってしまった。
その夜、ひとりの若く美しい女性が藤太を訪ねてきて、
『私は琵琶湖に住む龍神です。昼間橋に横たわっていたのは、私です。最近、三上山の百足に苦しめられ困っています。退治してはいただけませんか?』
と。藤太は快諾し、三上山に臨むと、稲光と共に、2、3千本余りの足の全てに松明を掲げて、三上山を7巻き半するほどの大百足が現れ、藤太が射たことごとくの矢を、跳ね返してしまう・・・。
藤太が、百足は人の唾を嫌うということを思い出し、矢尻に唾を吐きかけ、南無八幡大菩薩と祈念して射ると大百足に深 く付き刺さり、ついには、退治された。」

この時に龍王から褒美に授かった、尽きることのない俵から、「俵藤太」と呼ばれるようになり、また、同じく褒美に授かった大鐘は、三井寺に収められたんだそうです。
「唐橋を制したものは、天下を制す」という言葉があるそうで、この瀬田川を挟んで、古くは、神功皇后と、押熊王が戦っています。その他にも、壬申の戦い(大友皇子対大海人皇子)、寿永の戦い(源氏対平氏)などなど、大きな戦が何度も起こっているのです。
もともと瀬田の唐橋自体を社と呼び、中央に特殊な橋杭があったんだそうです。それを龍神の御霊代としたのだそうですが、西暦1440年ごろ、橋の架け替え大修理の際、この社に遷されたのだそうです。

  住  所:滋賀県大津市瀬田2丁目1−9

辰のことわざ

干支には「辰」があるのですが、実は「辰」が入ることわざというは有りません。 ですので、同じ意味になる「竜」が入ったやことわざ(慣用句)や四字熟語を集めてみました。 「竜」というのは強くて立派なものという意味合いが強く、中国では縁起物として祀られています。 辰年は、昇竜のように景気も登り調子になって欲しいものです。

◯雲蒸龍変(うんじょうりゅうへん)

 雲がわきあがり、龍がそれに乗って不思議な働きをする。
英雄・豪傑が機会を得て世に出て活躍するたとえ。

◯竜の雲を得たるがごとし

【飛竜乗雲(ひりゅうじょううん)】
 いずれも英雄が時に乗じて、勢いを得ること。

◯竜驤虎視(りゅうじょうこし)

天下に権威をふるうさま。竜のようにのぼり、虎のようににらむこと。

◯竜蟠虎踞(りゅうばんこきょ)

 竜がとぐろを巻き、虎がうずくまるように、抜きんでた能力を持つ者がある場所にとどまり、権勢を振るうことのたとえ。
また、ある地域で、すぐれた能力を存分に発揮すること。

◯雲は竜に従い虎は風に従う

 性格気質を等しくし、類を同じくするものは互いに引き合うこと。
りっぱな君主のもとには立派な賢臣が出て君主を助けること。また同気相求めることをいう。

◯竜は一寸にして昇天の気あり

 俊才は、幼い時分から非凡な所があるということ。

◯竜に翼(を得たる如し)

 もともと強い竜に翼を与えれば無敵となることから、勢いの強い者に更に威力を添えることのたとえ。

◯竜の雲を得る如し

 竜が雲を得て天に昇るように、英雄豪傑などが機に臨んで盛んに活躍するたとえ。
足元から竜が上がる  身近なところで突然意外なことが起こること。また、急に思いついて物事をはじめることにもいう。

◯竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)

 竜の頭や鷁の首を船首に刻んだり描いたりした船。天子や貴人が乗った船。

◯画竜点睛(がりょうてんせい)

 わずかなことであるが、それを加えることによって物事が完成、成就するために、最後に加える大切な仕上げのたとえ。
すぐれた絵師が竜を描いたが、睛(ひとみ)を入れると飛び去るといって入れなかった。 ところが人々がそれはでたらめだと言ったので、睛を入れたところ雷鳴電光と共に竜が天に上ったという故事による。

◯画竜点睛を欠く

 中国の張僧ヨウという人が竜を描いて最後にひとみをかき入れたら、その竜が天に昇って行ったという故事から、最後の仕上げが不十分なため、せっかく作ったものの価値が下がってしまう様子。
また、物事の肝心な点が抜けてしまっている様子。

◯臥竜鳳雛(がりょうほうすう)

 優れた人物が好機をつかめず、世間に隠れていることのたとえ。

◯竜頭蛇尾(りゅうとうだび)

 始めは盛んであるが、終りが振るわないこと。

◯群竜無首(ぐんりゅうむしゅ)

 多くの竜がいても、頭目の竜がいない。指導者を欠き、物事がうまく運ばないたとえ。

◯時至れば蚯蚓(みみず)も竜となる

 時流に乗って地位を得れば、才能がない者でも権勢を振るうようになるというたとえ。

◯登竜門

 「竜門」は中国の黄河上流の急流。そこに集まる多くの鯉のうち、もし登るものがあれば竜に化するとの言い伝えがあり、立身出世に繋(つな)がる難しい関門。
難関。また、運命を決めるような大切な試験。

◯竜門点額(りゅうもんてんがく)

 昔、中国で、官吏登用試験である進士の試験に落第して帰ること。
竜馬の躓き(りゅうめのつまづき)、竜の駒にも蹴躓き  どんなに優秀な馬でも時には躓くということで、名人でも失敗するし、賢人でも間違いを犯すというたとえ。

◯竜攘虎摶(りゅうじょうこはく)

【竜闘虎争(りゅうとうこそう)】
【竜騰虎闘(りゅうとうことう)】
【竜虎相搏つ】
 いずれも、竜と虎が格闘するように、互角の力を持った強者同士が激しく争うこと。

◯竜の頷(あぎと)の珠を取る

【竜の鬚を撫で虎の尾を踏む】
 いずれも、大きな危険を冒すことのたとえ。

◯虎口を逃れて竜穴に入る

 災難をようやく逃れたと思ったら、また別の災難に襲われる。次々と災難が襲ってくること。

◯竜の鬚を蟻が狙う

 弱小なものが、自分の力を顧みずに強大なものに立ち向かうたとえ。また、大それた計画や無謀なことをすることのたとえ。

◯屠竜の技 (とりょうのぎ )

 竜を殺すわざのこと。非常に巧みであり、あるいは高尚であるが、実際の役に立たない無用の技芸のことをいう。

◯竜馬の躓き

 ずば抜けて優れた馬でも時には、つまずくことがあるもので、どんな賢い人にも失敗があるというたとえをいう。

辰にまつわる昔話を読む
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