午(うま)

午 干支の由来

【うま】
人との付き合いが古い動物。人の役に立ち、人間も馬を大事に扱いました。

陽気で派手好き

電車や自動車が普及するまで、 長距離移動の主力といえば馬車でしたよね。 躍動感あふれるしなやかな走りは、見ているだけでも爽快です!

馬は風水でも行動力やエネルギーの象徴。 お守りとして馬グッズを持っていれば、 その人の潜在的な力を引き出してくれるそうですから イザという時に踏ん張りが効くようになるでしょう。 試験やビジネスなど、「ここぞ!」という勝負所には 馬のグッズを身に着けて出かけることをオススメします。

ちなみに、インテリアグッズを置く方角としては南が良いでしょう。 特に、「左を向いた馬」は縁起物として喜ばれます。

午の動物:馬(ウマ)

  • 午の月:旧暦5月
  • 午の時刻:昼の12時を中心とする約2時間
  • 午の方角:南
  • 五行:火気
  • 陰陽:陽
  • 意味:草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表します。

ウマは人に最も重宝がられてきた動物でしょう。 古代から人はウマに乗り、ウマで農耕もし、食用にもされました。 戦いでも騎馬は強く重要な位置を占めていました。 ウマというと競馬用のサラブレッドが最初に思い浮かぶでしょう。 あのように早く走るためのウマもいれば、運搬用に力のあるがっしりしたタイプのウマもいます。 ポニーのような小型のウマもいて、その用途に合わせて改良されてきました。 そのことからも、人がウマを重宝してきたことがわかるでしょう。 日本では競馬は平安時代から行われていました。 もちろん今のような馬券などのシステムはありませんが、勝者と敗者の間で物品のやりとりが行われていて、賭け事にはなっていたようです。 この頃から、娯楽として行われるようになっていったのです。 また、それまで行われていた騎射は流鏑馬などに発展し、神事や祭礼行事として行われるようにもなりました。 古代から、人のそばにはウマがいたのです。

ウマは縁起の良い動物だとされていました。 中でも馬という文字を左右逆さにして書かれているものを『左馬』と呼び、古来から招福のシンボルとされてきました。 左から乗れば倒れないとの言い伝えから、左馬は倒れない象徴とされ、人生を大過なく無難に過ごせるという意味が込められています。 また『右に出る者なし』や『左団扇』にも繋がり、商売繁盛の意味もあります。 左馬の文字の下の部分が巾着に似ているところから、口がよく締まって入ったお金を散財しないと、金運のお守りにも使われます。 普段は人がウマをひきますが、逆にするとウマが人をひいてくるので、お客を招くとも言われます。 他にも、ウマを逆さにするとマウ=舞うという言葉に繋がり、縁起が良いのだそうです。 昔から陶芸の世界では、新しく築いた窯での初めての窯焚き(初窯)の成功を願って、左馬を描いた物を焼くようになりました。 今でもその風習は残っており、お世話になった人に左馬の描かれた茶碗を配るのだそうです。 この茶碗を使うと病気にならないとか、縁起がいいものなのです。


【ウマの神様】

◯賀茂神社

賀茂神社は、今から1350余年むかし、天智天皇の頃、日本で初めての国営の放牧場を建設された地に創建され、その当時より馬の守護神として、日本の馬の聖地として、信仰いただいております。

その永い馬との歴史の中で、近年お詣りになられる方々より、「賀茂神社は天より光が降り注いでいますね!」とか、「この神社にいっぱいの馬がやってきて、ここから天に飛び立っていますね!」、「ここは馬のにおいがしますね」、「ここの神社の木は、馬の肌を触っているようです」等々、いろんな現象に対するお話をされる方が多くお越しになられ、私どもにお話をされています。 日本の「気」が集まる当地にこそ、馬たちの魂が集まってくるのでしょう。

競馬に従事される皆様!乗馬クラブのご関係各位を始め、乗馬をされている皆様! どうか、この1350余年の歴史の中で、命を全うしてきた馬たちの為に、「馬の聖地」として信仰される当社の境内に「馬の魂」が宿る宮、全国に類のない「馬」達の霊を慰め、「御馬神霊」としてお祀りし、その馬の神達を崇めまつる社の創建する為、全国のご関係各位の絶大なるご協力を切にお願い申し上げる次第であります。

馬も我々人間と同様に尊い命をもっています。 この馬たちの命を崇めることができるのも、我々人間であり、愛する馬たちが健康でいつづけるために見てあげることができるのも我々人間です。 馬に関係する皆様方にしか、馬たちの魂をお慰めすることはできません。 どうか、この日本の「馬の聖地」に馬たちの霊が神として宿るための神社の創建に、お力添えを宜しくお願いします。

これから生まれてくる人たちに、本当の日本のすばらしい、慈しみの心を身をもってお伝え頂ければと存じますので、重ね重ね申し上げますが、御創建1275年式年造営の為に、お力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。


◯保食神(ウケモチノカミ)の馬

保食神(ウケモチノカミ)は、五穀をはじめ、牛馬、蚕の起源神である。 歓待の気持ちを誤解されて月読命に斬り殺された保食神の頭に牛馬が生まれたと日本書紀などに載る。 このことから、特に津軽地方を中心に東日本では、明治初頭の神仏分離の際、従前から信仰されていた(仏教系の)馬の守護神、「馬頭観音」・「惣染・崇染・蒼前さま」に比定されて、(神道系の)保食神が牛馬の神・守護神として祀られ、「保食神社」などとして継承されたケースもある。 また、「駒形神社」の祭神が保食神とされている場合も多い。 保食神を祀る神社に奉納されている馬は、「保食神の神使」といえる。 なお、保食神は牛馬の守護だけでなく豊蚕、五穀豊穣なども願って祀られている。

【荒倉神社】

保食大神を祭神に祀り、農耕、家畜、安産の守護神として、庄内一円の信仰を集めた。 特に農耕馬や軍馬の育成と健康が祈られた。 参道階段登り口の馬像は、皇軍の武運長久と馬の身体堅固を祈願して奉納された。 昭和18年(1943)

山形県鶴岡市大字西目 荒倉山 JR羽越本線羽前水沢駅下車、徒歩西目・竹の浦集落まで30分、参道(山道)を35分登る

【保食神社(青森市鶴ヶ坂)】

現在の鶴ヶ坂付近には津軽藩の津軽坂・牧場があって、寛永15年(1638)〜天保10年(1839)の二百余年間、馬の育成が行われていた。 村には牧場開設当初から馬の守護神として惣染堂(馬頭観音)が建立され、後に歴代藩主崇拝の「惣染宮」とされてきた。 明治の神仏分離令で惣染宮は廃止されたが、明治6年に村社「保食神社」として継承された。

祭神の保食神は牛馬の起源神であり、馬の守護神とされる。 社前に、神使の石造りの馬像が奉納されている。 青森県青森市鶴ヶ坂 奥羽本線「鶴ヶ坂駅」下車

【保食神社 (黒石市境松)】

案内板もなく、この社の由緒は定かではない。 しかし、境内の片隅には、非常に珍しい「馬頭だけの像容」の「馬頭観音像」もあるので、かつては「そうせん堂」などと呼ばれて、農耕などに貴重な馬の守護が祈られていたものと推察できる。 それが、明治初頭の神仏分離で一旦廃止され、同じく馬の守護神とされる保食神を祀る「保食神社」として引き継がれたものと思われる。

保食神の神使である、石造りの馬が奉納されている。

【保食神社(平川市大光寺)】

青森県神社庁の資料によると、「当社は大同年中 (806-810)、 坂上田村麿の創建に係ると云い伝えられているが、 詳らかではない。 古昔は瀧本熊野権現宮千手観音堂(大光寺千手観音堂)と言われていたが、 明治4年、 神仏混淆禁止の為、 保食神社と改称した」とある。 祭神は宇氣母智神(保食神)。 祭神は馬の守護j神とされることから、参道の左右に神使の石馬が2体奉納されている。 左右で対に見えるが、左の馬は「御大典記念〜昭和天皇の即位」で昭和5年(1930)、右の馬は「紀元二千六百年記念」で昭和15年(1940)の奉納。 左右とも首から鈴を下げ、像前にきゅうりが置かれている。

青森県平川市大光寺字四滝本62 弘南鉄道・弘南線「平賀駅」下車


◯京都お馬さんの神社

【貴船神社】

鴨川の源流である貴船川上流に鎮座する、水の神様を祀る古社。その昔、干ばつの際は朝廷より黒馬を奉じて雨乞いを、長雨の時は白馬か赤馬を献じて雨止みを祈願したと伝わり、新古今和歌集にも雨乞神事の様子が詠まれています。また、この信仰は絵馬の起源とされ、本宮の境内にはそのことを示す黒馬と白馬の像が安置されています。夫との復縁を願った和泉式部、源氏再興を祈った源義経らにならい、諸願成就の祈願をしてみては。

【上賀茂神社[賀茂別雷神社]】

賀茂別雷大神を祀る京都屈指の最古社。祭神が神山(こうやま)に降臨された際、神託により走馬を行ったことが日本における乗馬の始まりといわれ、葵祭の起源でもあります。その後も災害などに見舞われるたび、走馬の儀や競馬の奉納が行われてきました。現在も5月5日に「賀茂競馬(かもくらべうま)」が斎行され、芝生の馬場を2頭の馬が駆け抜けます。また、毎週日曜日には二の鳥居前の神馬舎に白馬の神馬が登場します。

【粟田神社】

都の東の出入り口である「粟田口(あわたぐち)」に位置する神社。古の旅人はこちらで無事を祈願し旅路についたそうで、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として高名になりました。祭神の一柱である大己貴命(おおなむちのみこと)は、遠征や結婚のため各地へ赴きました。そのことから、人生の出発も守ってくださると信仰が広まりました。旅立守護守りは、境内に立つ躍動的な神馬像を図案としたお守り。人生の門出にどうぞ。

【藤森神社】

京都競馬場からほど近い「菖蒲の節句」発祥の神社とされる藤森神社は、京都の競馬関係者や競馬ファンなら誰もが知る「勝運と馬の神社」。藤森祭(5月5日)で曲乗りを披露する駈馬(かけうま)神事が行われること、また、菖蒲=勝負に通じると、その信仰が生まれたそうです。境内には社殿を見つめる神馬像が立ち、絵馬舎には馬が描かれた多数の絵馬。今年の勝負運アップを願ってみては。

【田中神社】

治暦年間(1065-1069)の創建。当初は北方の鳥羽里田中に鎮座していたが、天正年間(1573-1591)の洪水により社殿が現在地に漂着。この時、社殿が無傷であったことから、村人はその奇跡を尊び境内を整備、社殿を再興した。古くは近くに魚市が立ち、馬借が軒を連ねたことから「馬の神様」として信仰を集めている。また夜泣き、疳の虫封じとして崇敬を集める北向虫八幡宮も境内に祀られている。

【許波多神社】

大化元年(645)に創建された古社。壬申の乱(672年)を前に大海人皇子(後の天武天皇)が戦勝を祈願し、平安初期の武人・坂上田村麻呂は、こちらに参拝してから東征に向かったといいます。明治になって現在地に移転。それ以前は柳山に広大な境内を持ち、東西2町の馬道で競馬神事が行われていました。同社には現存唯一の平安期の鐙(あぶみ)(重要文化財)が残され、馬頭天王像もあるため「馬の神様」としても信仰されています。


◯神話の中のウマ

【スレイプニル <北欧神話>】

#最高神オーディンの愛馬
<スレイプニルの親は悪神ロキ>
いきさつはこうである。神々の住むアースガルドは防壁によって守られていたのだが、たび重なる戦によって壁が崩れてしまう。ある時旅の石工が表れ、太陽と月の女神、そしてフレイヤとの結婚を条件に壁を直すと申し出た。神々は逆に、ロキの提案で半年の間に直せば条件を呑むと言った。石工は愛馬スヴァディルファリと共に作業にかかった。 石工の邪魔をするためにロキが馬に変身し、スヴァディルファリを誘惑し、生まれたのが「スレイプニル」なのだ。そしてこの馬をオーディンに献上したのである。ちなみに姿は8本脚で名前には「滑るもの」という意味がある。

【ペガサス <ギリシャ神話>】

#母はあのメデューサ
<父は海神ポセイドン母はメデューサ>
なぜ、メデューサのような恐ろしい化け物から、美しいペガサスが生まれたのか。実はメデューサは元々は美しい髪を持つ女性でポセイドンの愛人だった。しかしメデューサは「自分の髪はアテナの髪より美しい」と言ったことからアテナの怒りを買い、その髪は蛇に変えられ化け物となったのだ。 そして後にペルセウスによって退治されるのだが、この時メデューサはポセイドンの子を腹に宿していた。 そして飛び散った血の中からペガサスは誕生したのだ。つまり、美しかった頃のメデューサの遺伝子がペガサスに受け継がれていたのである。 ギリギリセーフ。

【ユニコーン (モノケロス) Unicorn】

ヘレネス(ギリシャ)の伝承にでてくる魔物、一角獣。プリニウスの伝えるところでは、凶暴な野獣で体は馬、鹿の頭、象の足、猪の尾 牡牛のような啼声で、額の真ん中に1本の黒い角があり、末端で2股にわかれてつったっている、という。 より後代では、ユニコーンの角は薬になる、という伝承もある。[後述]

14、15世紀のヨーロッパでは純潔のシンボルである一角獣がキリストになぞらえて聖なる動物とされていたようだ。 1505年頃の ラファエロRaffaelloの「若い婦人の肖像(一角獣を抱く貴婦人)」の油彩画や、 「一角獣をつれた貴婦人(貴婦人と一角獣)」のタペストリーなどがある。

ヨーロッパではユニコーンの角アリコーンは万病に効くという伝承があり、王や貴族に珍重されていた。 江戸時代の日本にも伝わっており、新井白石が幼時に病気で死にそうになった時「ウニコール」という高貴薬を飲んで命を とりとめたと書き残している。 木村蒹葭堂(けんかどう)という本草学者が、このウニコールについて調べ、オランダ語の文献を訳して著した「一角纂考」には 「一角魚」として海棲動物であることが図入りで描かれ、現在のイッカク(イッカククジラ)だったことを突き止めた。

漢方薬では一角獣であるインドサイの角が、やはり薬となっているのもおもしろい符合である。また瑞獣である麒麟 の特徴が一角というのも面白い。 「一本角」「一角」は、洋の東西問わず、他にも多くの幻想動物の特徴にあるが、二本角がよくみられる普通の動物のもの、に対しての 特殊性になっているのだろうか。

【赤兎馬】

三国志に登場する一日千里を駆けるといわれた名馬。最初は呂布、次に関羽の愛馬と成った。関羽が呉に処刑されると、自ら食を断ち、死んだとされる。

【ウマのことわざ】

生馬の目を抜く

他人のすきに乗じ、すばやく行動すること。

牛を馬に乗りかえる

鈍いものを捨てて、はしこいものにかえること。不利な方をやめて有利なものに乗り換えること。

馬には乗ってみよ、人には添うてみよ

馬も人も、付き合ってみて本当の良し悪しが分かる。

馬の耳に念仏

たとえ本人のための忠告であっても、聞く耳を持たず、ききめのないこと。

馬の耳に風(馬耳東風)

馬は耳に風を受けても感じないことから、人の意見を聞かないことのたとえ。

老いたる馬は路を忘れず

長年の経験や勘は大事なものである。

弧を午に乗せたよう

ぐらぐらとして落ち着かない様子、あるいは言う事の信じにくいさま。

将を射んとせば、まず馬を射よ

防御の弱いところから攻める。

夏の雨(夕立)は馬の背を分ける

夏の雨は局地的に降るということ。(出典:梅園日記)

人間万事塞翁が馬

良い事態が悪い結果を生んだり、悪い事態が良い結果を生んだりすることもあり、人の幸・不幸は予測できないということ。 (出典:淮南子)

馬脚を現す

芝居での馬の役の足が見えるように、隠し事や本性があらわれること。

馬子にも衣装

立派な衣装を着れば、だれでも偉く見えるということ。

やせ馬の先走り

やせた馬は体重が軽いので出だしは良いが、体力がないのですぐバテやすい。

良馬は常にあれど伯楽は常にあらず

人の長所や才能は姿形では判断できないということ。

馬にまつわる昔話を読む
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